髭はなぜ生えるのか、考えてみる

髭は男の特権なのか

髭男性

髭が濃いのは男だけの特権なのだろうか。

いや、そうではない。

濃いことさえ、一部の男の特権なのだ。

しかし、そこには何のメリットもない。

なぜ髭は生えるのか。

なぜ毎日剃らねばならないのか。

毎日少なくない時間と労力をかけ、さらに肌も痛めつける。

丁寧に剃れば肌への負担は少なくなるが、その分時間はかかる。

素早く剃れば時間はかからないが、その分肌への負担は大きくなる。

特権という名の罰である。

何一つ良いことがない。

髭を剃らなくてもいい社会であれば、髭は特に問題視されなかっただろう。

髭の濃さに悩む必要も、肌荒れに苦しむ必要もなくなる。

この現代社会で、髭で肌を守る必要など皆無なのだ。

ならば、なぜ髭は生えるのだろうか。

まったく嫌になってくるよ。

髭は男だけに生えるもの?

髭に悩むのは、実は男だけではない。

明らかに不釣り合いだが、女性にも生える。

男ほど濃くはないが、その苦悩は男と引けを取らないかもしれない。

しかし、この世の中には、髭を生やしている美人歌手もいる。

「コンチータ・ヴルスト」という名のオーストリア出身の歌手だ。

どこからどうみても女性なのだが、一つだけ大きく異なる部分がある。

彼女は、口周りに男でも生やさないような非常に濃い髭を生やしていることだ。

どう見てもミスマッチなのだが、その堂々とした佇まいを見ると、不思議と違和感がなくなってくる。

彼女を見て、男女の性差というものは、近年徐々に薄まりつつあるのをはっきりと確信できたような気がする。

(※Wikipediaにはコンチータ・ヴルストが男性なのか女性なのか書かれていない。忖度されている)

というよりも、単に生き方が多様化し、だれでも自分の意見をSNSなどで発信できるようになったから、というだけであろう。

もともとそうであったものが、表面化しただけなのである。

髭を嫌う人の心理

髭のイケメン

重要なのは、髭が単純に邪魔で不衛生だから、剃らねばならない訳ではないことである。

人間的に当たり前の行為として髭剃りが存在するのなら、髭の生える男は髭が生える限り、人間未満の存在になってしまうのだ。

これはおかしい。

生物として当たり前に生えてくるものをなくして初めて人間になれると言うのなら、私たちはいったい何なのだろうか。

それに、髭を生やすことが別におかしくない諸外国の男たちは、人間と呼べないのだろうか。

そんなはずはない。

いったい誰が、髭剃りが当然のものという認識を広めてしまったのだろうか。

剃り残しや青髭に不快感を示すのは、まあ納得できる。

それは分からなくもない。

でも、通常時が髭の生えていない状態だからこそ、髭の生えている状態(異常)が目立ってしまうのである。

髭が生えているのが普通であれば、髭を剃った状態のほうが、異常になるのだ。

髭というものには、なぜか常に客観が付き纏う。

誰からかの視線や評価、それらを前提に髭は存在している。

矛盾と言わざるを得ないだろう。

他人の髭を嫌うのは、誰もが自分自身の髭を嫌っているから、なのだろうか。

髭を嫌う方はさっさとひげ脱毛してしまったほうが良い。

髭が憎いなら早めにしたほうが後悔しなくて済む。

興味ある方はこちら。

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結局、髭を生やしたいのか、生やしたくないのか

髭を伸ばしてもいい社会ならば、おそらく肌が弱く肌荒れに悩む男のほとんどが髭を生やすだろう。

逆に、髭を伸ばしてかっこつけているようなファッションのためにイキって髭を伸ばすような類の男は、髭を生やさなくなるだろう。

制限やルールがあると人はそれに逆らおうとする、どうにか対抗したくなる。

若者ならなおさらその心理があると思う。

ここで、すべてをフリーにしてみたらどうだろうか。

日本人ほど自由を嫌っている民族はない。

狭苦しい世界の中で自らを束縛し、群れに交じることに必死で流され生きるのが得意な民族である。

そんな国で髭に関する一切のイメージが人々の精神から消滅した場合どうなるだろうか。

髭に関する一切のマイナス感情がなくなると、きっと、人々は新たなルールを作り始めるだろう。

それは、「男は髭を生やさないといけない」というルールかもしれない。

無法地帯にはいずれ秩序が生まれる。

人間という種はそうして生き抜いてきたのである。

だから、集団に害をなす人間には容赦しないし、自らがそうなったときには反抗する気力も持たなくなるようにプログラムされている。

集団という神に支配されて生きるのが人間である。

髭に対する印象は長い年月をかけて、今のように構築されてきた。

これを覆すのはほぼ不可能に近い。

世の男たちは、髭を剃るのが当たり前になっているから、髭を剃るのであり、また、髭を剃りたくないのである。

髭剃りが面倒なのは、世界共通

理容室

ここまでいろいろな理屈を付けて、髭を解釈してみたが、つまるところ、単に「髭剃りがメンドクサイ」、ただそれだけのことである。

例えば、魚の骨やスイカの種。

食べるときにいちいち取り除くのが面倒だ。

魚の骨はのどに刺さるし、スイカの種は固くて食感や味を台無しにする。

でも、それが魚でありスイカなのだ。

それが嫌なら魚やスイカを食べなければいい。

単純なことだ。

魚もスイカも人に食べられるために存在しているわけではない。

人間に忖度しているわけがないのである。

(ちなみに猫は人に気に入られるように存在が忖度されている)

だが、髭はどうだ。

忖度など何一つされていないぞ!

男に当然に生えるものなのに!

私が髭という存在に関して、考えたこと思いついたことをつらつらと書いていく。

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